Paris Report
Bonne annee! あけましておめでとうございます!
とご近所の方々やパン屋さんやバスの運転手さんにも ボナネ!と言い合います。
家族だけのしっとりクリスマスと違って年末年始は、華やかに 暴飲暴食をして友人達とパーティーで始まる新年です。
年末からのイルミネーションは20日ごろまで各所でピカピカしています
皆様の益々の幸せをお祈り申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。

ピカソ
当選者にはピカソの絵画1枚プレゼント。『1piccaso100euros]。こんな情報が流れてきました!
早速調べてみるとアルツハイマー財団が主催して100ユーロくじを発売。購入した参加者の中から1名にパブロ・ピカソの本物の作品『Tete de Famme (女性の頭部)』を授与するチャリティーの抽選会を実施されます。
賞品となる作品の評価格は100万ユーロ(日本円約1億8500万円)になります。この抽選会は同財団の研究支援のためで総額1200ユーロが目標です。
抽選券はオンラインで購入できるようです。発行枚数は12万枚限定。その作品はオペラギャラリーから提供され、収益のうちから100万ユーロ支払われます。
もし収益が100万ユーロに達しなかった場合は購入者に払い戻しされるそうです。同財団は2004年に設立され、これまで欧州全域40以上の研究チームに約2900万ユーロを寄付してきました。今回の収益は病気の解明、新しい治療法の開発、患者と家族の生活向上などに充てられるそうです。
前回の当選者はご子息からプレゼントされたマダムが当選したそうです。
今回は2026年4月14日クリスティーズ・パリで行われる予定です。この機会にマレ地区のピカソ美術館に行ってみるのもいいかもしれません。絵画の他に陶磁器の作品も鑑賞できます。

5 rue de thorigny 75003
Paris
ニキ
作品をご覧になれば『あーこれね』と納得するパリの人たちは多いと思います。
パリの中心4区レアルのトラヴィンスきーの噴水などで作品を見かける機会があるからでしょう。
『ニキ・ド・サンファル』苗字からフランス人と思っている人が多いようですが、実は彼女はフランス系のアメリカ人のアーティストで多彩な女性でした。
彫刻家、画家、版画家、映画監督でありヌーヴォー・レアリスト・グループのメンバーでした。今回、グランパレの大展覧会は、彼女の夫、ジャン・ティンゲリーともう一人
の立役者プロデューサーである国立近代美術館ポンピドー・センターの初代館長ポンテス・フルテン3人のコラボです。
1960年代風変わりで理解され難いに彼らの作品を理解し、購入して展覧会を開き世の中に知らしめたキュレーターです。
現在ポンピドー・センターは工事中なので、今回の展覧会はセンターにある数多くの作品とフランス国内外にある作品群が集まったので見応えがありました。シャンゼリゼのすぐ近くのクラシックなグランパレの建物の中で一つの時代を作った近代的な作品。
それを制作したのはアメリカ人とスイス人のアーティスト。彼らを世に出したのがスウェーデン人のキュレーター。
舞台はパリ。なんとも自由で誰にでも明るい未来があり、国籍文化の融合があった時代だったと感じました。
現在のパリとはずいぶん空気が異なる時代を感じました。

新しい橋
サン・マルタン運河に架かる“橋”にフレンチポップスを代表する歌姫であり女優の『ジェーン・バーキン』の名が刻まれました。
式典にはシャルロット・ゲンズブールとルー・ドワイヨンの姉妹が出席し、母の名前を冠した標識パネルを掲げ母親を偲びました。
サン・マルタン運河はパリ10区のレピュブリック広場の裏手に位置し、開運から200年を記念して、舞台と映画で活躍した9人の女優達の功績を讃えるために橋の名前に残し、運河の畔にはその女優たちのパネルが展示されています。
その一人がジェーン・バーキンで、元々は税関橋という名称で最も古い橋として知られていましたが、2023年に他界した彼女の名前をパリの街に記憶していきたいという思いから改名されたのです。
豪華な石碑や大通りの名前ではなく、パリの日常に溶け込んだカジュアルな場所というのも彼女のライフスタイルと合っている気がします。
サン・マルタン運河の歴史は古く、パリ市民に飲料水を確保するためにナポレオンの命により造られました。1825年に運河が開通してから産業が発展し、石炭や建材などを運ぶ水運としても使われるようになりました。
運河の全長は4,55km、パリ北東のウルク運河からヴィレット貯水池、バスティーユ、そしてセーヌ川を結んでいます。
25mの高低差があるために水量を調節する9つの閘門があり、平らでなだらかなセーヌ川とは違った趣があります。自動車や鉄道の発展により貨物の運搬は激減しましたが、現在は観光用のクルーズ船も行き交っています。
この界隈は下町風情があり、レピュブリック広場が近いことから多くの人で賑わう一角です。そんな都会の喧騒から一息つく憩いの場所がサン・マルタン運河なのです。
暖かい季節になるとピクニック、そして夏になると若者たちが集い、酒盛りが繰り広げられたりもします。
多くの芸術家たちにもインスピレーションを与え、印象派画家のシスレーは「サン・マルタン運河の眺め」を、作家ウージェーヌ・ダビは「北ホテル」を舞台小説として書き、マルセル・カルネ監督が同作を映画化しました。
現在このホテルはカフェ・レストランとして残っています。さらに「アメリ」では石切りのシーンが思い出されます。最近では「エミリー、パリへ行く」のセルフィー写真が記憶に新しいのではないでしょうか。

Passerelle Jane Birkin
41-43 Quai de Valmy 75010
リック・オーエン
パリのファッション業界の人たちが、『リック・オーエン展に行った?まだ?』と挨拶のように昨年から言ってます。
『temple of love』という名前の回顧展が19世紀に建てられたガリエラ宮で行われていて、やっと行ってきました。
パレドトウキョウの向かい側の入り口にポスターが貼ってあったので、綺麗な庭園から入ったところ、何か普段と違う雰囲気。よくみると宮殿の壁にポスターと同じフォルムの細長い巨大な彫刻が何台も立っていたのです。すでに外観から個展は始まっている気配でした。
ファッションがお好きな方はご存知のリック・オーエン。しかし、一般的には変な服を作る変わったデザイナーと評価する方々も少なくはないでしょう。
1990年代にロサンゼルスで活躍していて2003年から、パリに拠点を移し独立性と挑発性を重ね持つ表現でファッション界に強烈な存在感を放っています。
アンダーグラウンドのカルチャーや1930年代のグラマラススタイルなどの影響を得て構築される独特のシルエットは、アートと衣服の境界を揺す物になっています。
会場の中に入ると、作品を着ているマネキンの大きさにびっくりそれも木々のように連立しています。一体一体が、異なった作品を纏っていますが、統一した林になっています。自然光が降り注ぐ展示室を鑑賞してから、真っ暗な展示室に入ると、撮影禁止マークがあちらこちら。
動画が始まりオーエンご自身が登場。彼のお出かけ前のお支度風景、白人なのにネイティブアメリカンのように漆黒の黒髪は、染めていたんだと判明する動画、どんどん過激になりこれは、撮影禁止ですよね。と納得がいく未公開アーカイブでした。
この部屋を出るとまた自然光と白い壁で眩し差を感じながら100t展以上のシルエットの展示が続きました。彼に多大な影響を与えたのは、かなり年上の奥様『ミッシェル・ラミー』である事は業界では有名ですが、フランス人の彼女はオーエンのニューズであり先生であり、ビジネスパートナーでもあります。なくてはならない存在だそうです。
展示の終わりに二人の寝室のコピーの部屋が出現。彼からのイメージでは「悪魔的な寝室かな?」と想像していましたが、意外にもシンプル。意外性がない落ち着きそうなお部屋でした。全体的には彼の奔放で妥協のない精神延長戦上にある彼のアイコニックな世界の360度没入体験ができる展覧会でした。
ミュージーアムショップでは彼が使用しているヘアカラーやコロンが販売されていて青年達が手に取っていました。彼のファンは男性が多く2度3度行ってきたパリジャンも多いようです。

パリ市立ガリエラ宮
10 avenue pierre 1er de serbie 75116